2019.07.04
業界でも群を抜く技術士の取得割合
建設コンサルタントにとって共通のテーマが人材の確保である。いかに技術士の取得者を増やしていかに育てていくか。
地道な努力が求められるテーマだが、社員に占める割合が業界の平均を大きく上回っているのが、セントラルコンサルタント株式会社である。
しかも特定の専門技術者ではなく、ゼネラリストであることに力を入れてきた。手掛ける事業分野は延べ13に及び、人材を活かして海外部門を強化すると同時に発注者支援にも取り組むなど活躍の場は拡大する一方である。
三菱グループの一員として創業する |
創業は1967年。三菱グループの建設コンサルタント部門として設立された。
国内では立ち遅れた社会基盤を整備するため、公共投資の活性化策が取られていたが、増加する事業量に発注者側の技術者が対応する従来の方式では限界となっていた。時代は、中立的な立場で設計や監理業務を担当する建設コンサルタントを求めていたのである。
国内の多くの建設コンサルタントが、この時期を中心に設立されている。これらを背景に三菱でも「グループ内に建設コンサルタントを」との機運が高まり、三菱地所や三菱商事、三菱重工業、三菱鉱業、さらにパシフィック航業を主要株主として誕生することとなった。
初代社長は、建設省土木研究所長や都市局長などを歴任した谷藤正三氏。さらに次期社長の市原薫氏も土木研究所長の経験者であり、道路と橋梁の2部門に強みを発揮してきた。
船出は順調だった。パシフィック航業から引き継いだ業務に加えて、独自の新規業務を受注するため営業活動を積極的に展開。三菱グループのバックアップもあって知名度は急速に上昇して、国内の主要発注機関からの受注が増加していった。
5分野13部門の業務にわたり事業を展開 |
2017年には設立50周年を迎え、オイルショックなどの影響はあったものの平均すれば売上高は右肩上がりで成長し100億円の大台を突破した。
当初の道路、橋梁に加えて河川も3年計画で強化。さらに分野の拡大に取り組み、総合化への道を歩んできた。現在ではマネジメント、計画・環境、都市、建設、海外の5分野について、延べ13の業務を展開するまでになった。
これまでに手掛けてきた業務は、主なものだけでも道路、橋梁、河川の3本柱を中心に枚挙に暇がないが、代表例を挙げるとすれば、東京ゲートブリッジだ。
橋長760m、最大支間長440mの鋼3径間連続トラスボックス複合橋と呼ばれる新形式の橋梁で、その姿から恐竜橋とも呼ばれ社会の注目を集めた。大型船舶が航行できる桁下空間を確保する一方で羽田空港を離着陸する航空機に対する高さ制限もあった。この基本条件を満たすため、ユニークなデザインの世界最大級のトラス橋となったのである。
東京ゲートブリッジ |
延長4.6kmに渡る道路および橋梁本体の基本設計と細部設計に加えて、従来は分離発注になることが多い上下水道管などの付属施設、さらにアプローチを含めた全長2.6kmの橋梁区間の計画、景観設計、維持管理など検討業務についても設計幹事会社として中心的な役割を果たした。
一方、歴史を遡ると創業間もない1970年には日本初の大型レジャープールである上尾水上公園の実施設計を担当している。海なし埼玉県が海を求めて100周年の記念事業として建設したものである。大型変形プール、流水プール、造波プールなど7つの多彩なプールを備え、水面積は1.4万平米に及び、開園当時は東洋一の規模だった。
上尾水上公園 |
10年目の1976年に受注したのが、瀬戸内しまなみ海道大島大橋の設計だった。愛媛県の今治と広島県の尾道を結ぶ本四架橋の一部で、橋長840m、中央径間560mの単径間2ヒンジ補鋼箱桁吊り橋。わが国の長大吊り橋で初めて鋼箱桁を採用した。
瀬戸内しまなみ海道「大島大橋」 |
大阪湾の泉州沖5㎞を埋め立てた海上空港である関西国際空港。1986年には対岸と結ぶ連絡道路の設計を受注した。
橋桁は、フローティングクレーンによるモーメント連結大ブロック架設と呼ぶ方法によって施工。島内Uターン路は複雑な橋面構造や不等沈下を見込んだ上下部工の設計など空港島ならではの対応も必要だった。土木学会田中賞(作品賞)を受賞している。
1961年に当時の天皇陛下と美智子皇后さまのご結婚を記念して造られた皇居外苑和田倉噴水公園を、1993年に当時の皇太子さまと雅子さまがご結婚を機にリニューアルする業務も担当した。継続と新たな発展をテーマに大噴水を中心にして水と緑で構成するドラマチックな公園にした。噴水の水はお堀の水をろ過し、広場の地下に巨大な水槽を設けて循環させている。1996年の北米照明学会奨励賞を受賞した。
皇居外苑 和田倉噴水公園 |
この事例からも見て取れるように手掛けてきた業務は多岐にわたる。
震災復興にも取り組んでいる。被災地からは、早期整備の要望があり、事業期間の大幅な短縮が求められる。特に復興道路としては最後に事業化された相馬福島道路についても復興事業の期限である2020年までに完成させなければならない。
事業期間短縮のために採用しているのがPPP(官民連携)であり、施工会社や用地関連会社とJVを組んで互いの技術経験、ノウハウを生かした総合力を発揮している。
熊本地震で被災した国道325号の阿蘇大橋を架け替えるための技術検討会にも参加している。橋桁が崩れ落ちた姿はマスコミでも再三にわたって取り上げられ、生活や産業を支えるだけでなく阿蘇観光の玄関口としての観光ルートとしてもいち早い復旧が求められている。発注者の補助者の立場としてCM(コンストラクション マネジメント)業務を担当している。
発注者支援業務に着目 |
これらの幅広い業務に取り組むと同時に社内的には創業当初から力を入れてきたのが、人材の育成である。その成果が実を結び技術者に対する技術士の資格取得者の割合は約60%と、業界平均の約40%を大幅に上回る。
プロジェクトレビューによる業務を通じた教育訓練に加えてe-ラーニング、基礎技術講習会、技術発表会などによって若手技術者の育成に取り組んできた。技術士模擬試験を行い先輩による添削指導も実施している。
技術発表会 |
この厚い層の人材を活かして今後どの分野を成長させ、業績を伸ばそうとしているのか。
着目しているものの一つが、発注者支援だという。PPPやCMによって高度なマネジメント業務を拡大していく。さらに民間資金を活用して社会資本を整備していくPFIも成長が期待される分野である。
海外部門も強化していく。もともと創業から強い海外志向があり、3年の間にアジア開発銀行、世界銀行への登録を終えている。
1969年には、国際協力機構(JICA)の前身である海外技術協力事業団(OTCA)が実施したテヘラン市交通施設基本計画に参加して海外進出の本格的なスタートを切った。
さらにパキスタン、バングラディシュ、クエートに加えて、その後に海外業務の中心的な展開地域となる南米ではボリビアの道路計画を受注。パラグアイの道路建設のコンサルタント業務など大型物件も相次いだ。
パラグアイ国道改良計画(Ⅱ) |
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中南米から東南アジア、アフリカ地域についてもJICAの業務を中心に展開。活躍の場を広げてきたが、政府開発援助(ODA)の中南米のシェアが低下してきたのに伴い、対象地域の見直しを迫られた時期もあった。しかし、アフリカ地域での受注は拡大し、海外部門全体の売り上げも伸びている。急速な経済発展が進むアジア諸国にもさらに力を入れ、売上高に占める海外の割合を引き上げ、事業部門の柱の一つとする目標を打ち出している。
(2019年7月時点)